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おきがるみがる

お気軽&身軽に生活・仕事・趣味を楽しむ雑記ブログです。

山科・大宅一里塚から奈良街道沿いにある文化財・歴史散歩

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今回は地下鉄椥辻駅の東を南北に走る奈良街道を、大宅一里塚から若宮八幡宮まで北上していきましょう。

冒頭の写真は、大宅一里塚からすぐ北に行ったところにあるクスノキです。そばには岩屋神社の御旅所があり、京阪バスのバス停・大宅甲ノ辻の乗り場があります。

僕は最近までこのクスノキを大宅一里塚だと思い込んでいました。後述しますが、その誤解に気付いたちょうどその頃に本物の大宅一里塚のエノキは台風で倒れてしまいました。

この交差点を東に行きますと私立京都橘大学があります。ぶっちゃけますと僕はこの大学の卒業生ですw 筋金入りの山科人なんです。

※前回の記事はこちら

www.okigaru-migaru.net

大宅一里塚

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大宅一里塚は、市内に現存する唯一の一里塚で、奈良街道(旧東海道)が名神高速道路と交差しているところの、すぐ北にあります。

一里塚は、街道沿いに1里(約4km)ごとに置かれた塚でして、本来は道の両側に対で存在するものですが、今は西側のみが残っております。

かなり削られたと思われる小さな塚に、かつては樹高約11mのエノキが植えられていましたが、腐食が進んでおり、去年2016年の台風で倒壊してしまいました。

ここから北へたどれば旧東海道追分に至ります。その道中にある史跡や神社仏閣を追って紹介していきましょう。

岩屋神社

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一里塚の北東にある岩屋神社は、天忍穂耳命など3柱を祭神とする神社です。

街道に面して朱色の鳥居が立っており、そこから東へ、名神高速道路を越えた所に社地があります。

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本殿背後の山中には奥之院があり、磐座信仰の名残りを伝える陰陽2石の巨岩があります。陽石は男性器、陽石は女性器の比喩です。

とは言っても、崖のようなデカい岩が山の中にあるだけで、言われなければ信仰の対象かどうか判断できませんがね。僕は何回か登ったことがありますが、急さで整備が不十分で山道は登るのも下るのもかなり大変です。

余程の興味が無ければ登ってガッカリスポットに僕は推しますw 文化財好きならば登ってみてください。奥之院の入り口まででバテますよ。

宝迎寺

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岩屋神社の朱色の鳥居をさらに北へ辿ると宝迎寺があります。

江戸時代に姦通の罪で処刑され、井原西鶴の「好色五人女」や近松門左衛門の「大経師昔暦」のモデルとなった、おさん・茂兵衛の墓があります。

妙見寺

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宝迎寺から街道を北へ辿ると、途中に妙見寺への案内碑が立っています。

妙見寺はその名が示す通り、眼病にご利益がある寺院です。

皇塚

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街道の東海道新幹線のガード手前には皇塚と呼ばれる石垣に囲まれた一段高い一画があります。

この皇塚は古墳の跡と伝えられ、今は岩屋神社の御旅所となっております。

この付近は「大塚(おおつか)」という地名ですが、その由来はこの皇塚(おうづか)だそうです。

若宮八幡宮

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国道1号線を越えて北へ向かうと三叉路となり、正面の道を行きますと若宮八幡宮に辿り着きます。

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若宮八幡宮の境内には大津皇子とその子・粟津王の供養塔と伝えられる2基の宝篋印塔があります。

若宮八幡宮のすぐ近くには南殿光照寺など蓮如上人や山科本願寺の史跡のある地域があり、上記の三叉路を右へ行きますと旧東海道追分に至ります。

ちなみに今回のスタート地点である大宅一里塚から、奈良街道を南に行きますと歓喜光寺や随心院に行くこともできます。

参考文献

京都府の歴史散歩〈中〉

京都府の歴史散歩〈中〉

次は伏見・醍醐方面!

www.okigaru-migaru.net