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おきがるみがる

お気軽&身軽に生活・仕事・趣味を楽しむ雑記ブログです。一応スナップ写真がメインです。

山科本願寺と蓮如上人関連の文化財と歴史散歩

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中世の京都・山科における一大勢力と言えば、蓮如上人が興した山科本願寺です。

今回は蓮如上人と山科本願寺に関する史跡や文化財を巡ります。地下鉄東野駅で下りれば徒歩でほとんど回ることできます。

冒頭の写真は山科西別院と山科東別院を結んだ間、住宅街の中にある「蓮如の塔」と呼ばれるものです。

かつて塔の上には蓮如の銅像があったそうですが、戦時中の鉄資源不足による金属類回収令で取り払われ、おそらく兵器へと作り変えられました。

それに由来してか、山科西別院の門前にある殉国碑のそばには弾頭がひっそりと置かれています。

※前回の記事はこちら

www.okigaru-migaru.net

蓮如上人御廟所

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地下鉄東野駅の近く、山階小学校の北に蓮如上人御廟所があります。

御廟所は、塀に取り囲まれた敷地の中に八角形の石柵をめぐらし、正面に唐門が設けられています。

蓮如は本願寺中興の祖と云われ、1415年に京都の東山大谷に生まれました。本願寺8世として、1478年に山科の地で本願寺を再建し、1499年に山科本願寺にて85歳で示寂しました。

この辺り一帯の地域は山科本願寺の領地でして、この御廟所は外寺内に位置しております。

山科本願寺は、天文の焼討ち後、土地を一時収公され、その後の返却や寺領寄進を受けて本願寺の所有に帰するも、その地に復興されることはありませんでした。

その跡地は芝地などとして維持され、東西に分立した本願寺は隣接地に堂舎を建立します。それが山科西別院と山科東別院です。

山科西別院(西本願寺山科別院)

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山科西別院(西本願寺山科別院)は、浄土真宗本願寺派の寺院で、蓮如上人御廟所の東南に所在します。

一乗寺の舞楽寺で親鸞が水垢離をとったとの縁から、1732年に住如が北山別院の旧堂とその名を移して創建しました。

正式には聖水山舞楽寺と称します。

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本堂は1772年の建築で、他に1781年造営の鐘楼や太鼓堂、接待所などがあり、中宗堂に安置する蓮如の木造は蓮如自作と伝えられています。

山科東別院(東本願寺山科別院)

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山科東別院(東本願寺山科別院)は、真宗大谷派の寺院で、蓮如上人御廟所から北に歩いたところにあります。

1732年に真如が本山の長福寺を移したものと伝えられています。

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門を入った境内には本堂が南向きに立ち、客殿や信徒会館などが立ち並びます。

西別院と東別院は宗派が異なる別々の寺院ですが、蓮如上人御廟所は明治時代以降、東西両本願寺の共有となり、両者で管理されています。

南殿光照寺

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蓮如上人御廟所から東、外環状線を越えた住宅街の中に南殿光照寺があります。真宗大谷派に属しています。

光照寺は蓮如隠居所の南殿の遺蹟を継いでおります。蓮如は1489年に隠居してここ南殿に移りました。

南殿は濠や土塁が二重にめぐり、同心円状に本丸と二の丸が配されていました。

光照寺は1532年の焼き討ち後、その故地を顕彰する意味で建立された寺で、当初は「泉水山光称寺」と名乗っていました。

織田信長勢の焼き討ちに遭い、仮堂などを再建するものの、やがてその手を離れ、江戸時代末期に現在地に復興されたとのことです。

山科本願寺南殿・土塁跡

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光照寺の左横には南殿幼稚園があり、園庭の南には大きな枯れ池があるそうです。

それは山科本願寺南殿の泉水跡で、築山や持仏堂跡の土壇なども観察されています。

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南殿幼稚園の東側には土塁跡があり、さらにその東側には空き地が広がっております。この空き地は山科本願寺南殿の二の丸の一部にあたります。

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蓮如上人御廟所の西側にある山科中央公園には、山科本願寺の土塁の一部を残しています。

高さ7mを測る巨大なもので、内寺内の東北角部分にあたるそうです。土塁上も広く、隅櫓状のものがあったと推測されています。

その北側には、かつての濠の名残りの窪地があり、現在はコートに整備されています。

山科本願寺南殿の泉水遺構や土塁、二の丸跡、山科中央公園にある山科本願寺の土塁跡と合わせて、山科本願寺南殿附山科本願寺土塁跡として国史跡に指定されています。

蓮如上人御指図の井戸

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南殿光照寺の西方の住宅街の一画には、蓮如上人御指図の井戸と呼ばれる石組みの井戸が残っています。

参考文献

京都府の歴史散歩〈中〉

京都府の歴史散歩〈中〉

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