おきがるみがる

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山科疏水沿いにある文化財と歴史散歩

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僕は京都市山科区で生まれ育ち、大学まで歴史を学んできたこともあって、故郷の歴史にはたいへん興味があります。

山科の地は、観光地的にはかなり地味ですが、実は日本史上で重要な史跡がいくつもあります。自分を育ててくれたこの町に感謝して、山科の歴史を伝えるべく散策してきました。

京都府の歴史散歩〈中〉

京都府の歴史散歩〈中〉

子どもの頃から伝え聞いた情報も多々あるのですが、あまりいい加減なことは言えませんし、僕の知識だけでは不十分なので、山川出版『京都府の歴史散歩<中>』を参考にしながらまとめました。

山科の歴史を取り上げた記事は計5本書きます。その第1弾は山科駅北部を流れる山科疏水沿いに点在する史跡をまとめました。

毎回冒頭には『京都府の歴史散歩<中>』には記載がないものの、個人的に「重要な史跡じゃないかな?」と思った史跡の写真を載せています。

今回は毘沙門堂の近くにある後山科陵です。本稿で取り上げている安祥寺の創建に関わった藤原順子の墓と伝えられています。

山科疏水

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山科駅の北側、東から西へ流れる水路は琵琶湖疏水の第一疏水山科運河でして、山科を通る約4kmの区間を山科疏水と通称しています。

琵琶湖疏水は、琵琶湖から京都市へ水を引く水路で、現在は京都市民の水道水源や水力発電に使用されています。

ただ、計画当初は大津と京都を結ぶ交通路が主目的でした。船溜りやインクラインが設けられており、疏水に架かる橋の中でも、一段高くつくられているものは船の運航を意識した当初のモノということがわかります。

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琵琶湖疏水は、19世紀末に京都府知事・北垣国道によって計画され、当時としては未曾有の大土木工事でした。

当時の日本における重要工事は外国人技師の設計・監督によって行われていた中で、田辺朔郎をはじめとする、すべて日本人の手によって行われた日本最初の大土木工事として歴史に刻まれております。

隧道(トンネル)の各抗口には、明示の元勲たちが記号した石額が掲げられています。

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第3隧道東抗口すぐ上流にある第11号橋は、1903年7月完成の現存最古のコンクリート橋です。

また、その東の第2隧道東抗口上流にある第10号橋(山ノ谷橋)は1904年完成で、鉄筋コンクリートアーチ橋としては日本最初のものらしいです。

山科疏水第1竪坑

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琵琶湖疏水の中でも、第1隧道は日本最初の竪坑工法を採用した隧道でして、近代土木史上、画期的な工事でした。

第1隧道西抗口から東、小関越を普門寺の横から少し登ったところに第1竪坑レンガ積み円筒があります。これが竪坑工法に使われたものですね。

第2竪坑もあるのですが、住宅地の中にひっそりと存在し、家主に一声掛けないと見られない場所にあるようです。だいたいの場所はわかっているのですが、僕はまだ見たことがありません。

毘沙門堂

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毘沙門堂は、山科疏水の北側にある寺院です。

出雲寺(上京区・上御霊社付近で703年行基が開いたとされる)を前身とし、江戸時代に天海の弟子・公海が現在地に移転・再興しました。

まずは長い石段を上って、その上にある仁王門を入ります。

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小降りな朱塗りの唐門の向こうには本尊・毘沙門天を安置する本堂があります。

また、その左手に見える宸殿は江戸中期のもので、後西天皇の旧殿を移したものと伝えられています。

狩野益信による障壁画や、その奥には晩翠園と名付けられた庭園があります。

勅使門の紅葉

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秋になると紅葉が勅使門前の石段を埋め尽くします。

この風景を撮りにカメラマンが殺到しますよ。

双林院

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毘沙門堂の西にある双林院は、毘沙門堂の子院です。

歓喜天を本尊としており、通称・山科聖天として知られております。

安祥寺

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洛東高校の西隣、山科疏水沿いに安祥寺があります。文徳天皇の母・藤原順子の発願で開山された寺院です。

元々は山上と山下の2つの伽藍からなる広大な寺でしたが、現在の寺は、麓にあった安祥寺下寺を江戸時代に寺地を移して復興したものです。

江戸時代後期に再建された本堂や、木造五智如来坐像などの文化財がありますが、境内は非公開です。

本圀寺

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山科疏水の西の方、第2隧道上流付近に朱塗りの橋が架かっています。これを渡れば日蓮宗の大本山・本圀寺です。

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洛中法華21ヵ寺の1つで、創建は1253年に日蓮が鎌倉松葉ヶ谷の法華堂を前身に営んだ寺を、上杉氏出身の日静が1345年に京都六条へ移転させ、本國寺と改称しました。

その後、1685年に徳川光圀から「圀」の字をもらって本圀寺としました。

1863年には鳥取藩側用人・黒部権之介らが因幡二十士に暗殺される本圀寺事件が起きた寺院でもあります。

現在の寺院は1971年に堀川六条の旧地から移転したものです。

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旧地から移築された経蔵がありまして、歴代天皇の綸旨や日蓮真筆本尊6幅などを所蔵しています。

参考文献

京都府の歴史散歩〈中〉

京都府の歴史散歩〈中〉

次回は旧東海道を東から西へ歩く!

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